PROLOGUE

自宅近くの海からいつも眺めていた烏帽子岩*。
そのはるか沖合に浮かんで見える伊豆大島(以下、大島)。
2009年8月、会社員だった僕はこの大島から茅ヶ崎海岸までを初めて泳断した。
潮の流れもあれば波もある。
サメや毒クラゲといった危険な生物もいる海。
何が挑戦に突き動かしたのか。
どのようにして成功させたのか。
そして挑戦は何かを変えたのか。

大島を目指した時から、「ストロングな人」との出会いも始まった。
STRONGHEARTの原点はここなんだと思う。

*サザンオールスターズの曲にもよく登場する、茅ヶ崎のシンボル。

PART04.「1度の成功で終えずに、続けること。」腹をくくった経験は、他にも活かせるか。

――

ゴールまであと5kmまできたのに
3時間も前に進まない状態のとき、何を考え、
どうやって乗り切ったのですか?

鈴木

一番苦しいときに何を考えていたかというと、
まだ幼い娘に語りかけるような……もう遺言ですよ、
こう育ってくれよ……みたいな。
いろいろな思い出が走馬灯のように流れていきました。

ふと、自分にできること、できないことを
分けて考えてみたんです。

ゴールできるかできないかは、いろんなことに左右されます。
自分ではどうしようもない、阻む環境要因がある。
だからゴールできるかできないかは、自分では決められることではない。

じゃあ、自分ができることはなんだろうって考えると、
そうか、あきらめないことか。あきらめる、あきらめないというのは
僕がコントロールできることだ。なら、それを貫こうと。
そう割り切ったんです。

腹をくくりましたね。

チャレンジのリミットは24時間に設定していたので、
朝の5時にスタートしたから翌朝の5時までは泳ごう。
ゴールできるかどうかは考えないで、ただ、朝まであきらめずに泳ぐ。
自分のできることだけに集中しました。

――

悟りの境地ですね。

鈴木

超長距離を泳ぐというのは、滝行や千日行みたいなところが
あるんですよ。雑念を切り離し、自意識を小さくして、
体は寝ているような、起きているような状態で、
手と足が無意識に動いている感じ。
そのほうがいいパフォーマンスがでるんです。

今でも覚えています。水の音も聞こえなくなって、
周りは真っ暗なはずなのに、白く明るい世界に包まれていたんですよ。

――

それって、ギリギリを越しているじゃないですか。

鈴木

最悪の事態に備えた準備、安全対策はしっかりしていましたから、
実際に死ぬことはなかったと思うんです。死ぬかもしれないと思ったのは、
引きどころがわからなかったからです。

途中で泳ぐのをあきらめてその後を生きるのか、
それともあきらめないで貫くのか、と考えたとき、あきらめるのはいやだ。
貫きたいと思った。

それからは何も考えず、無心で泳いでいたら、
幸運なことに風がやんで、スーッと前に進むようになった。

――

結果、夜明け前の午前3時、22時間6分でゴール。
実際に泳いだ距離68km。これだけでもすごいのに、
驚くべきは再度というか、今でも挑み続けていることです。

鈴木

実は2回目はスイムではなく、もっと遠く離れた
神津島から茅ヶ崎までをSUP(スタンドアップパドルボード)で
渡ろうと考えていたんです。

で、僕が仲良くしてもらっている大好きな先輩の
澤田貴司さん(当時リヴァンプ社長、現在ファミリーマート副会長)に
チャレンジの報告と応援していただいたお礼とを兼ねてうかがい、
次のプランを話したんです。

そうしたら「一也、1回成功するというのは、
実は簡単なことかもしれない。難しいのは続けることだよ」と言われて、
ちょっとハッとして。

「確かにその通りだな、もう一度スイムで
トライしてみようか」と思っちゃったんです(笑)。

――

なんかもう、麻痺してますね(笑)。

鈴木

今でもそうなんです。
大島はクセになるんです(笑)。

翌年、大島泳断に選んだ日は、
明らかに館山に向かって流れる潮が強くて、風もよくなくて、
最初から泳断するのは無理なのは明らかでした。
けれど、もう日程は変えられない。
それならいっそのこと、どんなふうに流されるものなのか。
そういう海も経験してみよう、とスタートしたんです。
思った通り、大きく流されて中断しましたけど。

本当ならある程度の期間、大島で待機して、
いいコンディションを待つのが理想です。ただ、そうなると、
クルーもチャーターする漁船も同じくフレキシビリティがないと
だめじゃないですか。それは現実的ではない。
理想のコンディションで泳ぐというのは難しいですね。

――

自然が相手ですものね。

成功していないうちは、「今日はやめます」と言ったら
「あいつ、びびったな」と思われてもしょうがないですし、
成功が1回だけだと、まぐれだと思われてしまうじゃないですか。

――

まぐれだなんて、誰も思いませんよ。
で、2度目の泳断が成功したのは2012年(泳いだ時間17時間30分)。

鈴木

2回成功してからは「やらない」と決めても、
状況を総合的に判断しての選択なんだな、とみんなわかってくれる。
自信を持ってこのコンディションはやめると、
決断できるようになりました。

――

ちょっと安心しました。

鈴木

ただ、考え方を変えれば、コンディションなんて
どうでもいいのかもしれないんです。泳ぐ目的が自己成⻑なら、
どんなに困難なコンディションでも挑んだほうがいいのかもしれない。

最初の挑戦で「ゴールをする」と「あきらめない」を切り離して考え、
乗り越えることができたのも、極限状態に置かれたから。
ギリギリまで追い詰められたからこそ、得られるものはあると思うので。
難易度が高いほど大きく成⻑できるかもしれない。

でも、今は素直にゴールが狙える、
いいコンディションで泳ぎたいですね。

――

経験値を積んだ今、
最初に挑戦したときのコンディションだったらやりますか?

鈴木

やらないですね。今なら予備日があったらずらしますし、
もしくはスタートしても、風が変わったらやめるというルールを決めます。
危ないですもん(笑)。

――

一也さんにとって冒険、チャレンジとは?

鈴木

なんでしょうね。半分は純粋にやってみたい、
というワクワクする気持ちだし、半分は成⻑し続けるために
挑んでみたい気持ち。
そんな感じですかね。

植村直己さん(1941~1984)をはじめ、
多くの冒険家の本を読んだのですが、単独徒歩で北極点に
日本人で初めて到達した河野兵市さん(1958~2001)の冒険を描いた
『みかん畑に帰りたかった』にはすごく共感しました。

最初は楽しんで冒険しているんですけど、
やがて後援会ができ、スポンサーがつき、それが仕事になる。
すると、よりハードルの高いことをやらないと注目が集められなくなる。
自分でも、みんなの期待に応えたいって思っちゃう。

――

確かにスポンサーもメディアもそういう傾向がありますね。

鈴木

河野さんは、北極点から故郷の愛媛までを
徒歩とカヤックだけで帰還するプロジェクトの途中で
還らぬ人となってしまうんです。

僕は職業冒険家ではないから、自分がやりたいと思うからやる。
成⻑するために挑戦する。
自己表現であり自己満足。これからも、この2つをなるべく純粋にできる
チャレンジがしたいと思っています。

――

ビジネスも大きな挑戦です。

鈴木

最近、僕は「プールで自己と向き合い、
海で自然と向き合い、仕事で社会と向き合っている」と思うんです。

プールって、あらゆるスポーツのなかで
最も環境の変動要因が少ないんです。風も波もない。
単にタイムを突き詰める、わかりやすい競技です。
努力と結果が直結するのがプール。自分自身と向かい合える。

海はどんなに頑張っても、まるで太刀打ちできません。
でも、そういう自然と向き合って、あえて立ち向かうことから
学ぶこともあると思います。どうやっても自然には歯が立たないけれど、
タイミングが合うと、ものすごくウェルカムに受け入れてくれる。

プールは自己完結できること。
海は何をしても自己完結しないこと。

仕事は社会、人とのコミュニケーションですよね。
相手のあることですから自己完結しないんですけれど、相手を知って、
こちらのアプローチを変えれば伝わることもあるし、
相手の立場に寄り添って、こういうことを望んでいるのではないかと
考えてプレゼンすれば、響くこともある。
これは前の2つにはない要素だと思うんです。

――

ビジネスに冒険の貴重な経験は活きていますか?

鈴木

成功する、しないは自然が決めること。
自分にできることはあきらめないこと。
あきらめない強い気持ちを持ち続けることだと思うんです。

――

仕事も冒険もSTRONG HEARTですね。
ありがとうございました。

THE END
2021/11/12