PROLOGUE

自宅近くの海からいつも眺めていた烏帽子岩*。
そのはるか沖合に浮かんで見える伊豆大島(以下、大島)。
2009年8月、会社員だった僕はこの大島から茅ヶ崎海岸までを初めて泳断した。
潮の流れもあれば波もある。
サメや毒クラゲといった危険な生物もいる海。
何が挑戦に突き動かしたのか。
どのようにして成功させたのか。
そして挑戦は何かを変えたのか。

大島を目指した時から、「ストロングな人」との出会いも始まった。
STRONGHEARTの原点はここなんだと思う。

*サザンオールスターズの曲にもよく登場する、茅ヶ崎のシンボル。

PART03.いざ、スタート。本当の地獄はゴール5km前に待ち構えていた。

――

準備に1年かけたわけですね。

鈴木

どうしたらいいか、わからないままのスタートでしたが、
準備するのは楽しかったですね。
ワクワクしました。
後輩や仲間にサポートを頼んで。
みんなそういうのが好きなのか、
チームの結束力は高かったですね。

決行する前日にOC2(2人乗りハワイアンカヌー)をかついで
東海汽船で大島に渡って、岡田港に着いてから、
それを借りた軽トラにまた積んでスタート地点の浜へ運んでと、
大変でしたよ。
何もかも初めてでしたから。

――

2009年8月29日朝4時55分に大島日の出浜をスタート。
どんな心境でした?

鈴木

やるしかない。
やらねばならぬ、という感じしかありませんでした。

――

サポート体制はどんなふうに組んだのですか?

鈴木

大島でチャーターした漁船と持参したOC2が1艇。
クルー4人がOC2を交代で漕いで、
泳者に異常はないか、サメはいないかなどの安全確認と、
水分や食事のサポートをします。
漁船のクルーは海況を分析しながら、
船⻑と相談してルートを定め、
OC2と連携して僕に泳ぐ方向を指示するんです。
あとは海上保安庁への定時連絡とか。

――

海上保安庁は協力的なんですか?

鈴木

一応、催事届を提出しました。
出さなくてもできるのですが、
何かあったときに迷惑をかけてしまいますからね。

江ノ島にある海保の出先機関に届け出に行ったんですけれど、
こういうケースは担当が伊豆諸島側なのか、
湘南側の役目なのかが不明で。彼らも初めてですからね。

――

無謀だと止められはしなかった?

鈴木

海保は止めることができないんです。
むしろ、同じ海に関わる人たちだから、
こちらの思いが伝わったのか、
頑張ってくださいと応援してくれました。

――

長距離を泳ぐコツは?

鈴木

プールでは体をローリングさせて、ストロークを大きく、
手をなるべく前に伸ばしますよね?
海で⻑距離を泳ぐ場合は、あまりローリングせずに、
というかそもそも海面がうねっているじゃないですか。
そのうねりに合わせる感じで泳ぐと楽なんです。

水を力強くかくのではなく、腕は回すけれど、
背中の大きな筋肉を使うようにして、肘は曲げてもいいから、
なるべく負荷なく回し続けることを意識しました。
腕の筋肉を使うとすぐにダメになる。

練習で蹴り続けると足の甲が腫れることはわかっていたので、
水は蹴るのではなく、ただリズムをとる感じですね。

――

泳いでいても、海のコンディションはわかるものですか?

鈴木

風や潮の向きは体で感じますね。進んでいるとか、進み悪いなあとか。

わかってきたのが、
例えば、追い風だけれど、逆潮という場合だったら、
腕が逆潮の影響を受けるので、手はあまり深く入れないほうがいい。

逆に連れ潮で向かい風の場合は、
手を深く入れて泳いだほうがいいんです。
海のコンディションに合わせて泳ぐことはすごく意識しました。

――

豪胆な挑戦のようでいて繊細な世界ですね。

鈴木

水をかいているとハッキリわかるんですよ、
この辺の深さでかくと進みがいいって。
潮って実は表面が何層にもなっていて、それぞれ流れている向きが違うんです。
そのフィーリングは大切にしました。

息継ぎは2〜3回かいて1回呼吸かな。
速く泳ぐ必要はないので、それくらいのゆったりペース。
風波が顔にかかると息継ぎで海水を吸い込んでしまうので、
風下側で呼吸しましたね。

30分に1回水分補給するんですけれど、
だんだん、いくら飲んでも吸収されていない感じがしてくるんです。

練習でいろんな飲み物を試してみましたが、
結局、暑いときはスポーツドリンク、
日が暮れて寒くなるとミルクの入った甘いドリンクが美味しいですね。
太陽や水温によって体が欲するものが全然違います。

泳ぐのは日が暮れた夜のほうが楽です。
体は冷えますけど、夏の直射日光に当たっているほうが、
体力の消耗は断然、激しいですね。

――

夜の暗い海は不安でしょう?

鈴木

夜は、僕のスイミングキャップとカヌーに小さなLEDライトを点けて、
互いの光を確認しながら進むんです。

その明かりに小さな魚が集まって跳ねていました。
すると、小魚を狙って大きな魚が寄ってくるんだろうなと思うと、
ちょっと不安がよぎりました。

――

サメですか?

鈴木

サメよりもむしろダツですね。
光を目指して突進して、
ダイバーのウェットスーツを貫いて刺さった事故とか
よく聞くじゃないですか。
だから、むしろダツのほうがやばいなと。

――

泳いでいるときは何を考えているんですか?

鈴木

できるだけ何も考えないですね。

練習のときから感じていたんですけれど、
ゴールまであと3kmと考えた途端に
「何が食べたい」とか「何がしたい」とか
眠らせていた欲がふつふつと湧いてくるんです。
すると時間の進みがすごく遅くなって、辛くなる。

不思議なことに、ゴールを意識すると本当にゴールは遠くなる。
何も考えない。
無心というか、瞑想といわれる状態がベストなのかもしれません。

短距離は全く逆ですよね。自らを興奮させて、
覚醒の度合いを上げて、集中力を一気に上げ、フォーカスを絞って、
ゴールを近くもってくるような感覚なんですけれど、
⻑距離は体と頭を切り離して、
自分自身を客観的に覚めた目で見るような感じで
取り組まないと、うまくいかないですね。

だから、あと残り数kmになっても、
ぬか喜びはしないようにしていました。
自然だからコンディションはすぐに変わるし……。

――

で、その通りに、最後の最後で風が北風に変わった。

鈴木

湘南の街の光が見えてからですね。
もうちょっと、あと5kmというところで向かいの風が吹き出して、
いくら泳いでもまったく前に進まなくなったんです。
うわーっと思いました。

夜中の2時ごろ、スポーツドリンクが飲みたくなって、
クルーに「あるかな?」と聞いたら
「最後の1本です」と渡してくれたんですが、手が滑ってしまって。
そしたらペットボトルがあっという間にサーッと流れていってしまって、
もう取れない。
それほど潮の流れも速かったんです。

「最後の1本なのに〜」と冗談交じりに笑っていましたけれど、
内心ではこんな潮と向い風でゴールするなんて無理じゃないか、
という気持ちになるわけです。
前に進まないというより、大島に戻されていましたから。

――

ゴール目前で、3時間も立ち往生というのは恐怖ですね。

鈴木

誰に言われたのでもなく、自ら「泳断する」と決断して、
「絶対ゴールする」といろいろな人に言ってまわって、
ゴール地点のサザンビーチでは、
みんなが僕の到着を待っているわけじゃないですか。
妻や子供も信じて待ってくれていると思うと、
頑張ろうとは思うのだけど……。

だけど、このコンディションでは、どうしたってたどり着けない。

……どうしよう。
収束の仕方というか、どう着地すればいいのか、
いくら考えてもわからなくて。
どうやって終わらせればいいんだろう。自分から言い出した手前、
自分からやめるとは絶対に言えません。

クルーに「一也さん、もうやめましょう」と言われ、
「いや、まだやる」
「もう、十分やりました」
「俺はやるよ」
「だめです。これ以上は危険です」
みたいなやりとりがあって、
強く説得されて仕方なくギブアップみたいな幕引きを妄想するんですが、
クルーは、「最悪のコンディションなのに、頑張っているなー」
という感じだったみたいで(笑)。
誰も「中止!」と言ってくれない。

こっちは「どうすんだよ、もう何時間も前に進んでいないじゃないか。
誰か俺の気持ちを汲んで、中止の判断をしてくれよ」と願っているのに、
誰も忖度してくれない。

絶対できるだなんて、自分で自分の退路を断ち過ぎたかなー。
もう、こうなったら気絶するしかないか、
と追い詰められながら泳いでいました。

そんなネガティブなことを考えていると、
時間も進まない。
真面目な話、死も覚悟しました。

TO BE CONTINUED
2021/10/29